<感想文> 致知2021年11月号 「努力」と「熱中」の関係を考えて分かったこと

講師コラム

「努力」と「熱中」の関係を考えて分かったこと

努力にまさる天才なし

(致知2021年11月号 p10~p11を読んで)

努力には「苦しいけど続ける。継続が力。奮い立たせる。」などの受動的な意味合いが、世間ではあるように感じる。

思い返せば自分は、幼少より性格的に~しなければならない。という心が動かない事を、
体裁を繕うためにするということが大の苦手人間だった。
ある意味、とても意固地で宿題をしないならゲンコツ、ビンタをもらう。
それで済むのであれば、そちらを選ぶというほどの頑固ぶりでした。

世間一般で言われる、しなければならないという意味の努力と、
何事かを成し遂げる人々の努力は、意味が違うように感じるのだ。

怒力しなさい。と人から促されるもの努力はかなり受動的であり、
努力=継続の意味で続ければいけないという方法論も同じではないかと思う。
逆に、野村克也氏の言う努力においては、自分が好きな対象に溺れるほど熱中する。
感であれ何であれ、一流の基礎が養われる。
また、渡辺昇一氏の「寝食を忘れる」の言葉、山本ますひろ氏の1つの事に打ち込み1万時間を超えるという言葉も、
芯と強い意思、没頭と集中がある「努力を目的ではなく、自らを高める行為」として定義すると、
すごく自分の中で力強い言葉になった。

私は、この考察において努力を再定義することで、自らの芯と強い意志、没頭と集中がある、
自らを高める行為を「努力」として続けていきたいと、心からそう思う。

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