国語を忘れた民族は滅びる

講師コラム

国語を忘れた民族は滅びるを読んで

インタビュー 藤原 正彦(お茶の水女子大学 名誉教授)

(致知2022年7月号 P18-24を読んで)

今回の感想文について、読む前に藤原氏のプロフィールを見ると「数学者」とあった。
直感的に「数学者なのに、国語の重要性を説く」ということに、すごく意味があるように感じた。
自らの専門があり、その専門を説く人はたくさんいるだろうが専門外のあえて説くということは
深い意図は何かと少しワクワクした。

感想を書く前に、テーマである「国語」に関する私のエピソードを披露したい。
・営業時代、報告書で上司に呆れられる。お前の日本語はわからん。基礎からやり直せと言われる。
・数年後、営業先でのプレゼンを始めると数分で、相手会社の上司が部下を呼び出しプレゼンを聞くように言う。
 プレゼン後、上司が部下に、これがプレゼンの良い見本だから見習うようにと褒められる。
・幼少期は、偉人のショートストーリーが好きでよく読んでいた。
 その生き方に、心震え、ときには涙を流すセンチな低学年だった。

さて本題になるが、藤原氏の話の要点を紹介していきたい。

・大正時代週15時間の国語の授業→現代では国語の授業は週5時間
・初等教育の国語は読み20、書く5、話す・聞くはそれぞれ1でいい
・幼児期のすぐれた詩や小説に触れることによって情緒が育まれる
・江戸時代の寺子屋教育は当時の国語教育の中では識字率は圧倒的に世界一。
 また、礼節・道徳などのモラル教育は世界の人から、称賛されていた。
・誇るべき伝統、文化に諸外国を見るのではなく、日本人自身が気付くべき。
 そうしないと、日本という固有の価値を捨て、的外れな教育ばかり行ってしまい国が衰退してしまう。
・国語にこだわる理由は、知的活動の基礎だから。人は考えるときに言葉を使って整理する。
 語彙がないと、思考が大雑把にしか表現できない。
・語彙力を高めるために、興味を持ちやすい物語を読み、感動や情緒とともに心に刻む。
・数学論理をたてるために必要なのは「仮説」であり、その仮説を選ぶ段階で重要なのは「情緒」である。
・その国固有の価値観である「国語」を忘れなければ、国が亡ぶことは無い。
 国語を忘れれば、国が亡ぶ。(滅ぶ=その固有の価値を発揮できない状態)
・大学で読書ゼミを開くと、日本に対して誇りを持てずさげすんでいた学生が、
 明治・大正・昭和の良い本を読むと、考え方が大きく変わった。
 その変化とは「先人は素晴らしい人格や教養を備えており、本当に大事なことや学ぶべきことは、
 先人たちが残してくれた書物の中にあったということに気づく」という変化。
・日本の抱える問題は教育に集約される。
 読書の中でよい本から、よい影響を受け、日本固有の情緒を育てる事こそが大事である。

いかがだろうか?
要点だけになったが、筆者が伝えたいメッセージはわかっていただけたと思う。

国語=その国独自に持つ価値観 であり、その国語をおろそかにすると、
紐づけされているその国の価値観が揺らぎ、衰退につながると説いている。

私はこの話に大いに共感できた。

そして、この藤原氏の主張を読み取り、冒頭の私の国語エピソードに戻ると
こんな仮説が見えてこないだろうか?

嶋崎という人間は、営業時代に日本語表現は呆れるぐらい下手だった。
それが、上司のはっきりとした宣言によって、本人に強烈な「欠如」を自覚させるに至った。

しかしながら、彼の中で幼少期において情緒の教育は、本人が偉人の物語になぞらえ自分で探求していた。
またそれが人格形成の根っこの部分で、偉人という「先人像」を形成し、挑戦する思考を形成していた。
彼は、上司の指摘にもめげず表現方法の重要性を認識し、自ら習得していった。
そして、数年後には営業プレゼンで、参考にするべきお手本にまで成長していた。

私の場合の日本語の「欠如」は、本当に無い状態ではなく、
とっ散らかっていて洗練されていない未熟な状態だった。

そこに、目的地を設定し、読者を、どの順番で、どう導くかという
「文脈・物語づくり」の技術を習得しつつ、楽しさを感じている。

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