<感想文>致知2024.10月号 この世から僕の仕事がなくなる日を目指して を読んで
この世から僕の仕事がなくなる日を目指して を読んで
~教育相談の現場から~
奥田健次(学校法人西軽井沢学園創立者・理事長)
(致知2024年10月号)
この対談を読んで強く思った事は、「教育の可能性」である。
教育というと、学校や教師から学び、知識を得るという事を思い浮ぶと思うが、
ここでいう教育は「その人の行動変容」である。
その行動を変えるためのプロセスについても事例を交えながら存分に語られており、
非常に興味深い内容だと思った。
奥田健次氏は実践家である。
自らが、学校をつくり俗なルールの影響を受ける制度から、
干渉を受けない教育の場をつくったこともそうであると思う。
そしてその学校で、子どもたちに対して日々向き合う事もそうだと思う。
ある事例では、「拗ね」という、問題行動を起こす子を、拗ねによって後悔せざるを得ない場を用意し、
子ども自身が体験を通して、行動変容する話があった。
最初読んだときは子どもの気持ちとなり、自分もあったなあと重ね合わせチクチクと心が痛んだが、
長い目で見ると人生において損をさせる行動なので、行動変容を促す奥田氏の方針には賛同する。
また、何より子ども本人にとって良いことであるという信念がなければ嫌われ役はやりたくないだろう。
私がポイントとして感じた事。
それは、本人がとった行動が、どのような結果をもたらすかという事を、
その人自身で心の痛みや、感情を通じて、正しく認識していくプロセスが重要である。
それは人間性を高める機会であると思う。
人は時に、わが子であれば可愛さゆえに間違いを起こさないように言葉や教訓として伝えるが、
それは子供本人の中では「聞いた事」でしかない。
なぜと問われ、主体的に答えられるほど腑に落ちていないのである。
そして、本人が痛みや悲しみなどを通して自分とつながり持った時に、行動変容がおこるのではないかという視点を得た。
経営者もまた実践家である。
自らが、痛みや悲しみを乗り越えて進んでいかなければいけない。
そして、行動においても「良い思って実践し、本当に良かったことは続けられ、
そうでない時は損切をしなければいけない」という宿命を背負っていると私は考える。
時に社員に対し、わが子であるように育ってほしいと願うが、
これも先ほどの我が子に対する教訓と同じで、本人の中でつながって重みをもつまではなかなか手を出せない。
今回の話の行動変容の事例は、人の主体性を育む話なのではないかと私は受け止めた。
そして、とても興味深い、教育の可能性を示唆する内容である。