<感想文>致知2025.03月号 苦難と経てこそ、人世の花は咲くを読んで

講師コラム

苦難と経てこそ、人世の花は咲くを読んで

ヒカリカナタ基金 竹内昌彦
(致知2025年3月号)

子どもの頃に失明し、いじめの経験を経て、途上国の盲学校を建てるという想いを実現した竹内さん。
彼の生涯の数々のエピソードを通じて、私が強く感じた事は、『自分を信じる強さ』と『与えられた命を、使い切る姿勢』の2点でした。
本文中の気になった点と合わせながらご紹介します。

1.自分を信じる強さ について

・私が幸いだったのは、いじめに負けなかったことです。傷つきはしましたが根が丈夫にできてるんでしょうね。
・要するに自分に間違いはない。嘘やごまかしがないというバリアがあったから少々なことがあっても驚かなかった。
・自殺した子に対して悔しかっただろうと慰めてやりたいと思うが同時に腹もたってくる。『なんで死ぬ奴があるか』と

私はこの3つの部分から、竹内さん自分が『自分自身を強く信頼している』とそう感じます。
特に、噓やごまかしがないというバリアというように表現されていますが、要するに自分に対する後ろめたさがないこと=嘘やごまかしをしないと同義であるとこの言葉を通じて自分は痛感しました。
そして嘘やごまかしは、少しづつ自分を傷つける行為なんだなと改めてハッとさせられました。

2.与えられた命を使い切る姿勢

いじめで自殺する子に対して
・皆は自分の命を自分ひとりのものと思っとるんじゃないか。
 それは間違いだぞ。みんなのお父さんとお母さんは今すぐこの場所で我が子の身代わりとして死ぬと言われたらいつでも死ねる。
・障害があって幼くして死んでしまった我が子。
 妻は送り迎えの際に、車で私に会いう道のりで、目も見えないはずなのだが、気配を察して手足をばつかせて喜ぶ表現をしていた。
・障碍児教育は本当に親によるんです。いい親に恵まれたら障碍児は幸せになります。
・本当は目が見えないことは私にとってすごいマイナスでした。
 ただずっとそう考えて生きるのはつまらんじゃないですか。
 少なくとも目の見えない条件の中で最大限に気を楽しく面白く生きようと考え方を変えた。

胸が熱くなり、自然と涙が溢れました。
共通するのは、命への尊厳であり、しかしながら大切にしつつもその役割を全うする姿勢が伝わってきました。
もらった命を、世界のために使い尽くすという使命感のようなものでしょうか。
私が、尊敬する直接指南していただけている経営者の方もそうなのですが、その生き方が人々に希望を与える生き方であり、とても素晴らしいものであるとそう思います。
また、そういった方を間近で見聞きし、体得していく事を積み重ねていきたいと思います。

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