<感想文>致知2024年1月号 人生の大事

講師コラム

特集 総リード 人生の大事 を読んで

(致知2024年1月号)

タイトルがなぜか妙に気になる。「人生の大事」。どこかで耳にしたような響きで、そんな諺あったかな?と。Googleと、AIチャット、国語辞典で調べましたが、該当するものはなく、どうやら筆者の言葉のようだ。
「人生の大事」。2回目ですが、いいフレーズだ。となりのトトロ、崖の上のポニョ、なんだか宮崎アニメのような語呂。聞けば聞くほど、何か心に留まる感じがある。順当に書くなら、「人生の大事な教え」だろうか。「の」の使い方が上手く、文法的には助詞の中の格助詞に入る。中学校に習ったかな。あの時は好きじゃなかった国語も、言葉や文字の本質を探究していくと面白さに変わる。そして、物語を紡ぐためにとっても大事な道具となる。今では、日本語はニュアンスを表現できる本当に奥深い言葉で大好きだ。

さて、リード文中の重要な「善知識」の感想は最後にするとして、その前にある101年の生涯を自己修養に捧げた伊與田氏の言葉。「西洋の老いは、悲惨さが付きまとうが、東洋の老いは人間完成に向けた成熟期なのである」この言葉を聞いた時、なぜか私の頭の名には「腐敗と発酵」というワードが飛び出てきた。西洋の老いは悲惨さが付きまとうを「腐敗」とするなら、東洋の老いて人間を完成するは「発酵」なのではないかと。

実は、腐敗と発酵、両者に科学的な違いはない。そして、何をもって両者を分けるかと言えば人間に有益であるかという分け方だけなのである。腐って食べられないなら、腐敗。腐っても、食べられるものであれば発酵。人間的な都合で分けているだけ。同じ現象ながら、見方や概念によって意味が変わる。この意味が変わるという事はすごい事ではないかと思う。

そして、意味を考える事は、私の中で最も興味がわくことだ。その人にとっての意味が変わるのであれば、失敗だって挫折だって、必要な事と心からそう思えるし、その時は上手くいったことの本当の危うさに気づくことだってできる。これは、伊與田氏の言う「年をとるほどに立派になり、息を引き取る前が完熟した人格」へつながっていく土台になるのではないかと思う。

最期、3つの善知識。私はこの文章を読んで、自分と置き換えてとしか聞こえなかった。澤木老子の言葉で、「小さな火を火鉢に散らしては消えてしまう」は、まさに昔の私の状態。一か所に集めるとカッカしてきてという場所を大切にしたいし、先達・同行・外護の善知識にふれ続けることが本当に大事だとそう思う。加藤滋樹さん(株式会社mobility career 代表取締役会長)は、その火を拾い集める名人であり、声掛けと尽力に本当に感謝しています。

私にとっての人生の大事は、意味を考え、探求した世界で、物語を紡ぐこと。先達・同行・外護の善知識のおかげであり、私の役割を全うしていきたいと思います

関連記事一覧